【書評】『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』

書評
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こんにちは、オノユウ(@yumaonodera_)です。

『サピエンス全史』を読んだきっかけは堀江隆文さんの著書『多動力』。

「多動力」には教養の大切さについて言及されている箇所があるんですが、

その中で教養を体系的に身につけるための格好の良書として紹介されていたのが、今回紹介する本『サピエンス全史』です。

 

サピエンス全史は上下巻に分かれていてとにかく分厚いです。

が、読み進めるごとに目からウロコな真実が次々明らかになり、ページをめくる手が止まらない。

人類史という馴染みのないテーマにも関わらず、著者のユーモアな語り口からかあっという間に本の世界に惹き込まれる。

 

本書は単なる人類史の解説で終わる本ではなく、幸福とは何か、人類はどこへ向かおうとしているのか、といったところの考察まで、この本には記されています。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏の著書「サピエンス全史」は、教養を身につける上でうってつけの一冊。

250万年にわたる人類の歩みを知るとともに、幸福や生命に対する倫理なども考えるきっかけになりました。

ホモ・サピエンスは虚構を作り出すことで繁栄した

現代人は、当たり前のようにどこかの国の国民として暮らし、会社で働き、お金を稼いでモノやサービスのやり取りをしています。

ただ著者曰く、私たちが当たり前のように感じている国や会社、お金といったものは全て人々が作り出した虚構だと指摘。

実際には国や会社もなければ、お金もない。

あたかもあるように見えるのは大半の人々がその存在を信じているからだと。

ホモ属は食物連鎖の中ほどに位置を占め、ごく最近までそこにしっかりと収まっていた。人類は数百万年にわたって、小さな生き物を狩り、採取できるものは何でも採取する一方、大きな捕食者に追われてきた。

(ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 『サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福』Kindle版 No.280より)

著者が言うように、歴史を振り返れば、人類はごく最近までそれほど強い存在ではなかったらしい。

にも関わらず、なぜ哺乳類で唯一ホモ属だけが繁栄できたのかと言うと、

ホモ・サピエンスは虚構を作り出すことによって、大規模な協調行動を取ることができたからだ──と著者は言います。

 

本書によると、

今から7万年前。なんらかのきっかけでホモ・サピエンスは新しい思考や意思疎通の方法を獲得したとのこと。

これを認知革命と言います。

認知革命によって、ホモ・サピエンスは神や精霊、国、会社、人権、お金など、現実には存在しないものの存在を伝え、信じることができるようになり、

その結果、非常に多数の見知らぬ者同士でも協力することができるようになったらしい。

この認知革命によってホモ・サピエンスは空前の力を手にすることになったのです。

穀物による人類の”家畜化”が始まる

農耕への移行は紀元前9,500年〜8,500年ごろに、トルコの南東部とイラン西部トレヴァント地方の丘陵地帯で始まったと著者は言います。

農業革命の始まりです。

日本でいうなら縄文時代が狩猟文化で、弥生時代が農耕文化ですよね。

 

私は今まで農耕文化に移行したことで人々は豊かになったと思っていました。

なぜならわざわざ危険を冒して狩りにいかなくても、定期的に食糧が取れるから。

だからこそ、狩猟文化から農耕文化へと”進歩“したんじゃないかと。

ただ本書を読んで、その考えは誤りだったと気付かされることに……

農業革命は、安楽に暮らせる新しい時代の到来を告げるにはほど遠く、農耕民は狩猟採集民よりも一般に困難で、満足度の低い生活を余儀なくされた。狩猟採集民は、もっと刺激的で多様な時間を送り、飢えや病気の危険が小さかった。

(同著Kindle版 No.1532より)

ではなぜ、農耕民は”満足度の低い生活“を余儀なくされたのか。

続けて、著者は言います。

食糧の総量をたしかに増やすことはできたが、食糧の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。

(同著Kindle版 No.1538より)

食糧が増えても、人口爆発とエリート層の誕生によって、庶民はかえって貧しくなった──と。

本書を読めば、「ああ、たしかに」と納得する一方で、かなり大きなショックを受けました。

まさしく常識がひっくり返される感覚です。

そして、著者はこうも言います。

犯人は、小麦、稲、ジャガイモなどの、一握りの植物種だった。ホモ・サピエンスがそれらを栽培化したのではなく、逆にホモ・サピエンスがそれらに家畜化さらたのだ。

(同著Kindle版 No.1543より)

なぜ、そう言い切れるのか。

もしそうなら、どうやって小麦や稲はホモ・サピエンスを家畜化したのか

その真実はぜひ本書を手にとって確かめてみてください。

無知の発見が科学の進歩につながった

科学革命の発端は、人類は自らにとって最も重要な質問の数々の答えを知らないという重大な発見だったと著者は言います。

イスラム教やキリスト教、仏教、儒教といった近代以前の知識の伝統は、この世界について知るのが重要である事柄はすでに全部知られていると主張した。

そして、凡人は古代の文章や伝承を調べて、適切に理解することで、知識を得ていた。

ゆえに、聖書やクルアーン(コーラン)から重要な秘密が抜け落ちており、人間に今後発見されるかもしれないなどということは考えられなかった──と。

そして、もし人々が知らない事があるとすれば、それは重要なことではないからだとも。

 

しかし近代科学は、最も重要な疑問に関して集団的無知を公に認めるという点で従来の考え方と大きく異なるようです。

著者は科学革命以前の文化と近代の文化の違いについて以下のように述べています。

科学革命以前は、人類の文化のほとんどは進歩というものを信じていなかった。人々は、黄金時代は過去にあり、世界は仮に衰退していないまでも停滞していると考えていた。

(中略)

近代の文化は、まだ知られていない重要な事柄が多数あることを認め、そのような無知の自認が、科学の発見は私たちに新しい力を与えうるという考え方とむず美ついたとき、真の進歩はけっきょく可能なのではないかと人々は思い始めた。

(同著Kindle版 No.4971、4984より)

本書を読むと、近代以降人類の科学力が大きく進歩したのは、まさに無知を認めることから始まったのだと理解させられます。

無知を認めて、知識を探求することで、成長していくという点は人類全体だけでなく、個人の場合においても共通するなのかもしれません。

文明は人間を幸福にしたのか

過去500年間には、驚くべき革命が相次いだ。地球は生態的にも歴史的にも、単一の領域に統合された。経済は指数関数的な成長を遂げ、人類は現在、かつてはおとぎ話の中にしかありえなかったほどの豊かさを享受している。

(同著Kindle版 No.7117より)

だが、私たちは以前より幸せになっただろうか?

たしかに、人類全体で考えればホモ・サピエンスは成功を収めたと言えるでしょう。

現に、アフリカの一部の地域にしか生息しなかった人類は、今や全世界で75億人もいるとされています。

でも、個人の幸せって考えるとどうなの?ってことですよね。

 

本書では、そもそも「幸福とは」というところから、「どうやって幸福について測るのか」についても言及されています。

第19章では、幸福の定義や幸福に影響を与えるものについて、生物学者や社会学者の意見や、仏教などの宗教の教義など様々な角度から考察が記されています。

ただし、これまで自然や科学の法則など様々な研究をして解明してきたサピエンスも、幸福の正体については、学者の中でも未だ意見が一致していないよう。

幸福とは何か、深く考えるきっかけになりました。

超ホモ・サピエンスの時代へ

ホモ・サピエンスの繁栄はどこまでいくのか。

最終章では、遺伝子工学について触れています。

従来、生き物は自然選択の影響下で進化してきました。

例えば、首の長いキリンは首の短いキリンよりも多く食べ物にありつけたので、より多くの子孫を残せた──と。

ところが今日では、世界中の研究室で、科学者たちが遺伝子工学を使って生き物を操作していると著者は指摘します。

例として挙げれたのが、ごく普通のウサギの杯を取り出し、そのDNAに緑色の蛍光性のクラゲから採った遺伝子を移植して誕生した蛍光色のウサギ。

このウサギは自然選択では説明できない──なぜならこのウサギは知的設計の産物だからだと著者は言います。

このように知的設計によって誕生する生物はこれから増えていくでしょう。

知的設計には、生物工学、サイボーグ工学、非有機的生命工学の3つがあるとのこと。

本書は、各分野の研究を紹介した上で、こうした生命の知的設計によって、人類はこれまでの常識や価値観の見直しを迫られることになると指摘しています。

 

また、知的設計が人間にも応用された時、そもそも「人類」という言葉そのものがその妥当性を問われると著者は言います。

実際に、2050年までにはすでに非死(アモータル)になっている人も何人かいると見る向きもある──とのこと。

著者が示したのは、人類が新たな超人を生み出し、ホモ・サピエンスの歴史に幕が降りようとしているという驚くべき可能性でした。

私たちの遺伝子をいじくり回しても、必ずしも私たちの命が奪われるとはかぎらない。だが、あまりにホモ・サピエンスに手を加え過ぎて、私たちがもはやホモ・サピエンスではなくなる可能性はある。

(同著Kindle版 No.7704より)

知的設計によって操作された遺伝子を持つヒトが誕生したとき、テクノロジーによって人類が非死の能力を手にしたとき、それは本当にホモ・サピエンスと言えるのでしょうか。

 

本書は最後に「私たちは何を望みたいのか」という疑問で締めくくられています。

これこそが私たちが直面している真の疑問なのかもしれない──と。

 

人類の歩んできた歴史、文明の構造、幸福とは何か、そして私たちは何を望みたいのか……

読んで終わらせるだけでなく、今後も折に触れて考えていきたいと思いました。

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