こんにちは、オノユウ(@yumaonodera_)です。
以前は、常識を持っていることが良いことで、非常識な人は劣った人という考えでしたが、
最近では考え方を改め、非常識だと思っていた人からも考え方を学ぶようにしたところ、思考の柔軟さが上がった気がしています。
さて、先日下記のツイートをしました。
自分の考えている常識も全体で見れば少数派である場合もある。
あまり自分が常識人だと思い込まない方が、物事を柔軟に捉えられるし、
学習チャンス広がるのでおすすめ。— オノユウ@ブロガー (@yumaonodera_) 2019年1月30日
自分の考えている常識も全体で見れば少数派である場合もある。
あまり自分が常識人だと思い込まない方が、物事を柔軟に捉えられるし、
学習チャンス広がるのでおすすめ。
今回は、上記のツイートを深掘りしつつ、「常識人間は損をする理由」について解説していきます。
常識にこだわると損をする理由
ネット上では、自分のことを常識的だと思い込んだり、他の人を非常識な人間だと批判する人をたまに見かけます。
要するに、
- 常識的な考え方=正しい
- 非常識な考え方=間違い
という考えの人です。
ただ、常識にこだわりすぎると色々と損をすることがあります。
世の中ではあまり知られていないのではと思ったので、その点を詳しく解説していきます。
理由1:視野が狭まる
自分が属している集団では常識的でも、より大きな集団では非常識であることがよくあります。
そして、自分の所属している集団の常識だけを信仰し、視野が狭くなっていると、
社会的にみて間違った行動をとることもあります。
個人だけではなく、会社や国という単位でも同じことが言えます。
自分の考えている常識は、ごく小さな共同体の常識にすぎないという場合がよくあります。
行き過ぎた常識信仰は、視野を狭くします。
理由2:学習チャンスを失う
自分を常識人だと思い込む人は、学習チャンスを失います。
なぜなら、他の人の常識を学ぼうとしないからです。
自分と同じ考えの人は常識的、自分と違う考えの人は非常識という見方をする人をたまに見かけますが、
経験上、自分と違う人の考えを学ぼうとしない人は、あまり成長しません。
自分の常識に当てはまらない人の考えからも学んだ方が、学習チャンスが多いのは言う前もありません。
理由3:自分の行動が縛られる
非常識を否定すると、人と違った行動をとることが出来なくなります。
例えば、会社に入社して1年以内で辞めるのは非常識だと思っている人は、
ブラック企業に就職してどれだけ精神が疲弊しても、会社を辞めることができず、精神病になる可能性もあります。
常識を基準に物事を考えると、無意識のうちに自分の行動を制限してしまい、生きづらくなってしまうのです。
理由4:時代の先を走ることができない
基本、時代の先端を歩く人は、非常識な人間です。
人間の歴史は、一部の非常識な人間が新たな常識を作り、それに多くの人が追従するというパターンが繰り返されてきました。
例えば、中世のヨーロッパ人は、太陽が地球の周りをまわっているという考え方が常識でした。
全ての星は地球を中心にまわっているというのはキリスト教の考え方です。
ガリレオ・ガリレイやコペルニクスが地球が太陽の周りをまわっていると唱えた時、人々は非常識な人間だと批判しました。
ガリレオにいたっては宗教裁判で有罪になっています。
しかし、今はどうでしょうか?
ガリレオやコペルニクスは世界の真実を明らかにした科学者として讃えられ、地球が太陽の周りをまわるのは世界中の人の常識となっています。
常識を疑い、新たな可能性を提示するからこそ、新しい未来を作ることができるのです。
なので、少々過激をすると、常識的な人間には未来を作ることはできないのです。
繰り返しになりますが、
常識にこだわると、視野が狭くなり、学習チャンスを失い、自分の行動が縛られ、時代の先を走ることができなくなります。
そのため、あまり常識にこだわらない方がかえって得をする、というのが私の持論です。
常識から自由になろう
そろそろまとめに入ります。
大事なのは、自分を常識を信用しすぎないことでして、自分以外の常識を受け入れる寛容さを持っておくと、考え方が柔軟になります。
考え方が柔軟になると、学習チャンスも広がり、成長スピードも早くなるかと思います。
成長するとできることが増えて人生が豊かになるので、常識から自由になりませんか?というのが私の提案です。
というわけで、今回は以上になります。
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